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背水之陣(背水の陣/絶対に用いてはならない戦術)
2013-07-07 Sun 11:19
【背水之陣】

 日本人好みの言葉であり、よく使われる。
 「これが最後、いよいよ背水の陣だ!」と悲壮感をただよわせ、時には他人に対しても「今度こそは、背水の陣でのぞみなさい!」
 などという。
 絶対に後ろに引かない覚悟で、いちかばちかの成敗をかけて一発勝負にでることである。
 しかしこの言葉、こんなに気軽に使ってもらってはこまる。「背水の陣」は最悪の布陣であり、「全滅」を免れない戦術なのである。

 『尉繚子』にも、
 「背水陣為絶地,向阪陣為廢軍」(水を背にして陣するを絶地<絶体絶命の境地>となし、阪<坂>に向かって陣するを廃軍<敗軍>となす)
 とある。

 だから、兵法では山を背にして、川を前にするのが定石である。敵が川を渡って疲れたところを迎え撃つのがもっとも勝ちやすい。

 その逆に、水を背にして陣をとれば敵は前にあって、水が後ろにある。退却しようにも水に溺(おぼ)れるから、それ以上退却することができない。だから、それほど強くない兵隊でも、すすんで戦い、決死の覚悟で敵を破ろうとする・・・という。

 しかし、実際はそんなに甘いものではない。
 いくら「決死の覚悟」でのぞんでも、戦術がまずければ必ず負けるのである。政略も、戦略もなにもなければ、なおさらのこと。兵隊の「覚悟」や「勇気」だけにたよる戦術など、「戦術」とも呼べないおそまつなもので、決死隊として突撃させられ、無駄死にさせられる兵士たちの姿を想像すると無惨きわまりない。「背水の陣」は「百戦百敗」の布陣なのである。

 ところが、この「背水の陣」を布(し)いて大成功をおさめたのが漢の韓信将軍である。

 では、「百戦百敗」の布陣でなぜに勝利を得たか?

 というのが今日のテーマのひとつ。

 少しつかれたので、続きは後ほど・・・

 [背水之陣2(背水の陣/絶対に用いてはならない戦術)]

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刎頸之交(刎頸の交わり/ふんけいのまじわり)
2013-07-06 Sat 12:47
 たとえ、頸(くび)を切られても心をかえないほどの、真実の親しい交わり。生死をともにする親友。

 「和氏之璧(かしの・ヘキ/たま)」
 「連城の璧→完璧(レンジョウのヘキ・カンペキ)」

 に登場した、廉頗(レンパ)将軍と藺相如(リンショウジョ)のお話から出た言葉。

 とかく、文官と武官というものは仲の悪いもので、日本の例をみても、
 太閤秀吉の家来でいうと・・・

【Aグループ】加藤清正・福島正則など
【Bグループ】小西行長・石田三成など

 両グループは仲が悪いことで知られている。

 趙の恵文王は立派な家宝「和氏の璧」を持っていた。秦の昭王がそれを欲しがって、十五城(十五の領地)との交換を申し出た。これがいわゆる「連城の璧」で、十五の城(領地)を連ねるほどの値打ちがある家宝。その時の外交談判を買ってでたのが藺相如であり、璧を無事に完(まっと)うして帰ったことは「連城の璧→完璧(レンジョウのヘキ・カンペキ)」で紹介したとおり。

 この功労によって藺相如の位は、武官で野戦組の将軍、廉頗(レンパ)よりも上になった。

 おもしろくないのは廉頗将軍。「攻城野戦の功績がある自分が町人上がりの舌先三寸の男の下に居るとは残念だ。藺相如に会ったら辱(はずか)しめてやろう」といった。

 それを聞いた藺相如は、廉頗将軍と列席する必要のある時は、仮病で欠席した。また外出時に将軍を遠くに見かけると、車の方向を変えてかくれた。

 藺相如の家来たちは口惜しがって恥じたので彼はいった、
 「強国の秦(シン)をも恐れないで、秦王をしかりつけ国威を輝かした自分が、なんで廉頗将軍だけを恐れるものか。秦が強大な兵力を持っていながら、趙に手出しできないのは、この国に我々両人がいるからではないか。今両虎共に闘(たたか)えば、その勢いは、ともに生きない。だから国家の危急を大事だと思うから個人的な怨(うらみ)なぞは後回しにしているのだ」
 と。

 これを聞いた廉頗は、はだ脱ぎになり、いばらの鞭(むち)を背負って藺相如の邸に行き、「これで打ってくれ!」と謝罪して「刎頸之交」を結んだ。

相如曰:「夫以秦王之威,而相如廷叱之,辱其戝臣,相如雖駑,獨畏廉將軍哉? 顧吾念之,彊秦之所以不敢加兵於趙者,徒以吾兩人在也。今兩虎共闘,其勢不倶生。吾所以為此者,以先國家之急而後私讎也。」廉頗聞之,肉袒負荊,因賓客至藺相如門謝罪。曰:「鄙賤之人,不知將軍寬之至此也。」卒相與驩,為刎頸之交。

・・・今、両虎共に闘えば、その勢、ともに生きず。吾の、これを為すゆえんのものは、国家の急を先にして、而して、私讎(シシュウ)を後にすればなりと。廉頗これを聞き、肉袒(ニクタン)して、荊(ケイ)を負い、門にいたって罪を謝し、ついに刎頸の交わりを為せり。
(史記卷八十一廉頗藺相如列傳第二十一)

 それにしても、廉頗将軍。怒り方といい、謝罪の仕方といい、いかにも直情径行型の体育会系ですね。

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連城の璧→完璧(レンジョウのヘキ・カンペキ)
2013-06-30 Sun 16:06

「完璧」(カンペキ)とは、「人から借りたものを大切に返すこと」というのがもとの意味。
熟語の直訳は、「完全な璧(ヘキ)」「完全無疵(むきず)の璧」。
由来は、藺相如の「完璧而帰(璧を完うしてかえる)」から。

「璧」(ヘキ)というのは(ギョク)の一種で、環状をなしている玉。(→「和氏之璧(かしの・ヘキ/たま)」の注を参照)

「ぎょく」というのは、丸い「たま」とは限らない。翡翠(ヒスイ)・瑪瑙(メノウ)などの半透明な石のこと。

「完璧」という言葉は、戦国時代、趙(チョウ)の藺相如(リンショウジョ)という外交官の話に由来する。

秦の昭襄王(ショウジョウオウ)は、武力で趙に迫り、趙の恵文王が手に入れた天下の名宝「和氏の璧」(カシのヘキ)と、十五城との交換を申し込んだ。

「城」といえば、日本人はいわゆる「おしろ」、すなわち大阪城や姫路城のような、天守閣のある建築物を連想してしまうが、中国の「城」は違う。
中国で「城」といえば、「万里の長城」を見ればわかるように、国全体・領土全体を囲む城璧のことであり、また城璧に囲まれた領域全体を指す。

始皇帝が登場する以前は、中国は現在のヨーロッパのように、いろんな国に分かれていた。「城」といえば、その国々を指すこともあるし、飛び地の領土を指すこともあるし、内城をさすこともあるが、とにかく城璧に囲まれた広い範囲全体が「城」であることにかわりはない。

だから、西施のことを「傾城(ケイセイ)の美女」と呼ぶが、「傾城」「傾国」は同じ意味だから、「傾城の美女」「傾国の美女」なのである。

余談が過ぎたが、「連城の璧」というのは、十五の領土に匹敵するほどの値打ちがある宝石という意味。すごい宝物だ。

その宝石に食指を動かしたのが、秦の昭王。(「食指動く」はまた別の項で)

なにしろ、強国となりつつある秦のことだから、趙の恵文王としては、その申し出を断るのも恐ろしく、またダマされてお宝だけまきあげられるのもこわい。承諾するのを躊躇した。

その時、藺相如が和氏の璧を持って秦の国に行きたいと申し出た。
「秦にダマされて、十五城が手に入らないときは、璧を完全な形で持ち帰りましょう」--『完璧而帰!』(ヘキをまっとうしてかえらん)

藺相如は璧を擁して使いした。
昭王はやはり、十五城を与えるつもりはなく、璧をただ取りしようとした。
そのことが判明した瞬間、藺相如は「髪は怒りで逆立ち、冠を突き上げた」
すかさず、藺相如は
「その璧に疵(きず)があるから、しらべます」
と言って和氏の璧を手に取り、サササーッと後ずさりして、
「柱にぶっつけて璧を砕(くだ)き、いっしょに自分の頭も壊(こわ)す!」
と言った。
そして、こっそり使者に璧を持ち帰らせた。

藺相如自身は死を覚悟して、秦の処分を待った。が、秦の昭王は「賢臣である」として藺相如を趙に返した。

こうして、藺相如は完璧(カンペキ)に、その役割を果たしたのでした。

恵文嘗得楚和氏璧。 秦昭王、請以十五城易之。欲不与畏秦強、 欲与恐見欺。藺相如願奉璧往。「城不入、則臣請完璧而帰。」既至。秦王無意償城。相如乃紿取璧、怒髪指冠、卻立柱下曰、「臣頭与璧倶砕。」遣 従者懐璧、間行先帰、身待命於秦。秦昭王賢而帰之。

『十八史略』巻一(原典)


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和氏之璧(かしの・ヘキ/たま)
2013-06-29 Sat 00:27
類い稀(たぐいまれ)な才能がありながら、一般に認められないのを
「和氏の璧」(かしのヘキ・かしのたま)という。

中国は周の時代、楚の卞和(ベンカ)という人が、楚山で発見した宝玉のこと。

このお話は、次のようにシリーズ物になっている。それぞれのストーリーが面白い。

和氏の璧 → ②連城の璧 → ③完璧 → ④刎頚の交わり

まずは①から。卞和が発見した宝石は原石であり、日本では「あらたま」と呼ばれるものである。
「玉磨かざれば光なし」で、外に汚い皮をかぶったこの原石のことを中国では「璞」(ボク)という。

この皮を剥ぎ取れば、中に美しい宝石が収まっているのだが、外から見ただけでは素人目には、普通の石ころなのか、それとも宝石なのかがわからない。

試しに外側を磨いてみればよさそうなものだが、大昔のことだから、それはそれは大変な技術と労力がいる。
もしヒットすれば儲けものだが、いざ磨いてみてから「ただの石ころ」と判明しても、結果は「大損」である。
そこで「お宝鑑定士」が登場して、中身が磨く努力に値するものかどうかを鑑定する。
こういう事情を知っておかないと、中国の歴史物語に登場する「璧」の話の面白みは半減する。

さて、卞和は璞を楚の厲王(レイオウ)に献上した。厲王は楚の「玉人」という専門家に目ききさせたが、「ただの石ころ」という鑑定。卞和は詐欺罪で、左足の筋(すじ)を切られた。
あきらめきれない卞和は、厲王が死んだ後、次の武王に再び例の璞を献上した。判定結果は???
玉人の鑑定は、またもや「石ころです!」
今度は右足の筋を切られた。

その次に即位したのが文王。卞和は璞を抱いて楚山の麓(ふもと)で三日三晩泣いた。泣きに泣いたので、しまいには涙のかわりに血が流れた。「卞和泣玉」という。

それを伝え聞いた文王は、そのわけを尋ねさせた。
卞和が言うには「私が泣いているのは、足の筋を切られたからではなく、私が発見した宝石を、ただの石ころだといって、貞士(テイシ・誠実で行いの正しい人)をイカサマ師扱いにするからです」と。

そこで、文王がその璞を磨かせてみたところ、卞和の言うとおり立派な宝石があらわれた。
これを「和氏之璧」と命名するや、天下の名宝となった。

後に、この「璧」が、趙(チョウ)の国に伝わり、秦(シン)の昭王が十五城(十五国と同じ意味)との交換を申し入れたことにより「連城璧」(レンジョウのヘキ)といわれ、藺相如(リンショウジョ)の活躍によって「完璧」という言葉が生まれた。また、このときに手柄をたてた藺相如を誤解して侮辱してしまった廉頗(レンパ)将軍が、誤解がとけた後藺相如に謝り「刎頸之交」(フンケイのまじわり)を結んだ。
このシリースの続編は、すべて後述の予定。
 「連城の璧→完璧(レンジョウのヘキ・カンペキ)」
【玉】(ギョク)
 大理石などの美しい石。宝玉一般。
【環】(カン)
 リング状の玉。
【璧】(ヘキ)
 「環」を押しつぶしたような形の玉。
 平らな輪の形をした玉で、中央の穴の直径が輪の幅と同じか小さいもの。
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夜郎自大その2(無邪気なままでいてほしい)
2013-06-23 Sun 01:40
 [夜郎自大(田舎者の無邪気さ)]
 [尾籠とは?(烏滸蠻・烏滸の沙汰・夜郎自大)]

滇王與漢使者言曰:「漢孰與我大?」及夜郎侯亦然。以道不通故,各自以為一州主,不知漢廣大

滇王、漢の使者に言いて曰はく、「漢と我と、孰れが大なるか」と。夜郎侯に及びても亦然り。道の通ぜざるが故、各自ら一州の主と為るをもちて 漢の廣大なるを知らず。

『史記西南夷列傳』より
【滇】(テン)とは、中国漢代、雲南地方に拠った西南夷の一。前109年、前漢の武帝に降伏して益州郡に編入された。

 漢の使節が来たとき、夜郎侯(漢の武帝が夜郎王を県令に任命したので夜郎侯という)は「漢という国は、わが夜郎より大きいのかね?」とたずねた。

 徳島県知事が「中華人民共和国って、徳島県よりも大きいの?」と訊くのと同じようなもの。

 夜郎は、よそへ行ったことがないから本気で質問した。前回の徳島県民も、よそのことを知ろうとしないから、東京にどんなに大きなビルが林立しているか(林立どころではない)を感覚的に知らないし、日比谷公園とか代々木公園のイメージも湧かない。18階建てのビルは「超高層ビル」だし、前山公園は大きな公園なのである。
 もちろん、地元の施設に愛着を感じ、誇りをもつのは全然悪いことではない。好ましいことかもしれないが、それにしても「世界」を知らなさすぎるのである。

 「知らない」というよりも、「知ろうとしない」(知る必要性を認めない)ところが、問題といえば問題である。

 「夜郎」も「徳島県民」も、「ローカル」で生き、「ローカル」で完結している。
 徳島県民は、新聞といえば「徳島新聞」だけを読み、朝のテレビは「おはよう徳島」、夕方は「フォーカス徳島」・・・と、どっぷりと「ローカル」に浸っている。悪いことではないが、こうして「ローカル」に浸っているばかりでは、外の世界に目を向けることができず、こういうチグハグなことも起こってくるのである。

 こういう、ほのぼのとした笑いにつつまれる話しならいいが、こういう感覚がへんなきっかけでナショナリズムを刺激しないとも限らない。実際に、徳島県では過去に、「外国人留学生入居おことわり」マンションが登場し、その記事が全国に流れたことがある。「外国人=こわい」という、幕末の黒船時代の感覚そのままである。今はもう、我々県民も「安眠」から覚め、タイムスリップから帰還したものと信じたいが。

【蛇足】
 田舎には「いいところ」と「悪いところ」がある。当たり前だ。
 悪いところとは、田舎の長所短所を例示したりすると、「悪口を言われた」と勘違いし、「そんなに徳島がいやなら徳島から出て行け!」とやられるところ。
若い時分に何度かそういう経験があります。そういうところがまさに「田舎」なんですが。
・・・というとやはり「出て行け!」と怒鳴られそう。そういうことじゃないのにな。
歴史を正しく認識しようとすると「自虐史観」などというのとよく似ている。
 なんでも自分のところがイチバンと思うのはかまわないけど、「自己肥大」は危険です。無邪気なままでいてほしい。
[尾籠とは?(烏滸蠻・烏滸の沙汰・夜郎自大)]

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